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「どうする家康」ここから天下分け目の戦いが始まった

「徳川四天王」の一人である井伊直政は、家康の天下獲得戦で多く先鋒を務めていました。関ケ原の戦いでも当然先鋒を務める腹づもりでしたが、決定したのは豊臣から寵愛されていた福島正則。それに不満を感じた井伊隊は、福島隊を出し抜いて先駆けに成功したのです。この井伊隊の突然の発砲により、静まりかえっていた関ケ原に火の手があがり天下分け目の戦いが始まったのです。

ここ関ヶ原の戦いの開戦地はキリシタン大名と言われた西軍「小西行長」の陣跡もあります。ここから北を向けば西軍の「石田三成」の本陣がある笹尾山が見れます。

更に3分も歩けば「島津義弘」の陣跡もあります。