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「どうする家康」“戦いの裏には悲劇がある”

JR関ケ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に広葉樹の森がありその中に「東首塚」があります。朱色の大きな門を抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この首塚に、当時この地の領主であった竹中重門が、家康の命により関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。この首塚に埋められている戦死者の数は定かではありません。しかし、西軍・東軍、計15万人の兵がぶつかったといわれる関ケ原の戦いの規模を考えると非常に多くの戦死者が眠っているものと考えられます。

【戦いの裏方、女性たちの驚くべき仕事?】

関ケ原の戦いで裏方を務めた女性たちの仕事の1つに、首化粧がありました。首化粧とは、男たちが取ってきた首をきれいに洗い、お歯黒を付けたというものです。当時、お歯黒は身分のある者に限られていたので、首化粧をすることで少しでも良い恩賞を彼らに得させようとしたのです。このような女性たちの支えがあったからこそ、男たちは戦に専念することができたのですね。

いつの時代もやっぱり影で支えているのは献身的な女性の力ですね!?